健常者はバカばっかりだ
あなたがもし健常者だとして、「健常者はバカばっかりだ」と言われたらどう感じますか?まあ、不快に感じる人が圧倒的に多いでしょうね。健常者の中にはバカにされるような人もいますが、全ての健常者がバカであるはずがありません。
これは事実がどうであるか、というよりも言葉遣いの問題です。
では、「妄想」と「想像」、そして「幻覚」と「現実」の違いとは何でしょう?実は、これも言葉遣いの問題に過ぎないのです。
ある辞書を引くと、妄想とは「根拠のない誤った判断に基づいて作られた主観的な信念」とあります。一方、想像とは「頭の中で思い描くこと。既知の事柄を基にして推し量ったり、現実にはありえないことを頭の中だけで思ったりすること」。この二つの言葉の定義は完全に同じではないものの、重なる部分もある。
つまり、事実として「妄想」と「想像」の線引きができるということではなく、単に定義の曖昧な言葉が恣意的に使われているというだけなんですね。
例えば、「悪の組織が自分を監視している!」という訴えは妄想である、と診断される一方で、その訴えは想像であると解釈しても言葉の定義上おかしくないわけです。
それに、妄想という言葉の定義に従えば、血液型性格診断も、結婚すれば幸せになれるという風潮も、あらゆる社会思想も全ては「妄想」に過ぎないと言っていいのかもしれません。(ちなみに、社会思想についてはまた別の機会に記事を書く予定。)
「幻覚」と「現実」の違いも言ってみれば言葉遣いの問題ですね。事実として「幻覚」と「現実」が峻別できるというわけではないのです。
言葉遣いに無頓着でいると、まるで事実と言葉が一致しているかのような錯覚に苦しみます。しかし、言葉がその定義通りに使われている場合ばかりでもないし、言葉の定義自体も恣意的なイメージでしかない。
というわけで、また。