I is for Insane

統合失調症患者が綴る雑記

ジャニーズ性加害問題に関して

疑問がある。過去にジャニーズ所属タレント自ら「You〇〇しちゃいなよ」とジャニー氏の真似をして笑いを取っていたことだ。

性加害は事実としてあったのだろう。だとすれば上記の言動はどう解釈すればいいのか。自らの尊厳を傷つけた加害者の発言を拝借して、視聴者に笑いを提供していたことになる。テレビに出られるレベルのジャニーズにとって、ジャニー氏は社会的成功を収めるための必要悪、そして単なる駒だったのだろうか。

ちなみに、私はここ10年間ほど全くと言っていいほどテレビを観ていない。内輪ウケを狙うだけのお笑い、美男美女が出演する必然性の無いドラマ、どの局を観ても同じ内容のニュース番組など、観る価値は無いように感じてしまう。

ジャニーズについても、歌や踊りの才能はあるのかもしれないが何より「容姿の良い者ばかりのグループ」というコンセプトがダメ。これは女性グループについてももちろん同じ。容姿端麗なヒトに惹かれるのは自然なことだとしても、あまりに作為的過ぎる。その作為に対して何の疑問も抱かない人たちがほとんどで、そちらに対しても嫌悪感は募っていくばかり。

未だに可視化されないマイノリティはおそらくいて、自分はそういうタイプかなと思う。

坂本龍一、永眠

間違いなく彼は自分にとって重要な存在だった。一般ウケするピアノ曲やポップスから難解な現代音楽まで作風は幅広く、一言で言えば「意義のある楽曲」が多い。

少し珍しい楽曲を例に挙げると、”Seven Samurai - ending theme”のキーはB♭で最初のコードはC。つまり、Ⅱから始まる。Ⅱ7ではなく、Ⅱ。これはなかなか思いつかない気がする。とはいえ、一聴した感じ違和感なく綺麗にまとまっているのはさすが。

比較的新しいアルバムである”async”はまず一般には受けないサウンドだろう。しかし、そのコンセプトとしてはどちらかと言うとシンプルで、同期しないリズムの並立が核となっているようだ。もちろん、ポリリズムとも違う。新しい音楽の可能性としては良いアイデア

また、一般的には辛辣で大口を叩いていたかのように感じる発言でも、認めざるを得ない部分が大いにある。”ロックはいつまで同じことを繰り返せば気が済むのか(うろ覚え)”など。 個人的にロックは好きで今でも聴くことはあるが、この発言は的を射ているんじゃないかと思う。政治的発言など相容れない考えもあるものの、だからと言って彼の作品が損なわれるわけではない。

2000年前後に「skmt」という書籍を読み、彼の辛辣さと真摯さに感銘を受けた。破天荒なエピソードも数多く、嫌いになるのも無理はない。しかし、彼にとってアンチの存在など取るに足らないものだっただろう。

彼は天才か、というと自分程度の人間にはその判断すらつかない。少なくとも、音楽に対して徹底的に考え抜いた人だとは言えるんじゃないか。

前述のskmtによると、彼は土葬を希望していたらしい。自らの肉体が自然に還り、他の生物の生きる糧になるなら、それは輪廻転生だと。まあ、イマドキの言い方だとスピリチュアルみたいだな。

てなわけで、ご冥福をお祈りします。

有言実行とゆーことで

オワコンSNSTwitterで本名晒してます。

以前の記事でも本名晒すぜよとは書いたが、始めた動機としては友人だったIさん(20歳年上)が亡くなったことがデカい。

彼は誰の目から見ても精神障害者に見えるようなヒトで、同じ話を何十回と繰り返すウザいおっさんであった。支離滅裂な話しぶりも彼から人を遠ざけた。しかし、どうにもこうにも人が良い。その点については認めざるを得ない。そして、彼の音楽に関する趣味は俺と似ていた。昔の歌謡曲から流行りの歌まで分け隔てなく聴いていて、哀愁の漂う曲、人生の悲哀を歌った曲を「これどうだ」ってな感じで教えてくれたものだ。彼自身がオリジナルの作品を作ったわけではないが、選んだ作品から彼の人となりが伺い知れるように思う。

そのIさんが死んだ。心筋梗塞だったらしい。死の直前は精神病棟に入院しており、入院の原因は自宅に火をつけたからとのこと。人づてに聞いたから確かではないかもしれない。でも、いま思い出しても泣けてくる。彼は祝福を受けなかったヒトの一人だ。もちろん、俺も。

で、それがなぜ本名でオワコンTwitterを始めることに繋がるのか。本名でバカ丸出しのツイートをして何になる?得することは何もないし、逆に軽蔑されるケースのほうが多いだろう。つまり、そのためだ。本名を晒して、本音をぶちまけて、「こいつはバカでどうしようもないサイテーのクズだ」と言われるため。本当の自分を曝け出して嫌われるとしても、そのほうが良い。Iさんの生き方はどうしようもなく不器用で不恰好だった。でも、それで良いと思う。彼がそう思わせてくれたんだ。

嫌われることは怖い。軽蔑されることも怖い。だけど、それが自分の本来あるべき姿だとしたら受け容れるより他にない。最近ボケてきたので尚更Iさんに近づいてる気がする。死ぬしかないなこりゃ。

絶滅

人間関係を維持するには取引材料を常にストックしておかないといけない。肯定的な声掛け、気の利いた言い回し、安定した演技。人間関係は取引だ。損得勘定で損ばかりなら取引は成立しない。

これまでその取引材料を必死にかき集めてきた。そのおかげで取引が成立することもある。でも、その取引材料は私がもともと持っていたものではなかった。

「ありのままの自分を認めてほしい」だなんて、ずいぶん幼稚に聞こえるかもしれない。まさにその通り。醜くて気が利かない幼稚なヒト、それが私のすべて。本来であれば誰も近寄らなくて当然だった。

私は絶滅すべきだ。

健常者の裏返し

「私は障害のせいで健常者と同じ程度には働けない。そのせいで恋愛も結婚もできない。自分は不幸だ。」と考えていた。

しかし、これこそが「健常者の裏返し」だ。仮に、障害が無いために、普通に働けて、恋愛も結婚もでき、不幸だと感じないとしたら、それは現在の自分と表裏一体である。言ってみれば両者の違いは障害の有無だけであり、「障害があるから」不幸で「障害が無いから」不幸だと感じないだけ。

もちろん、障害を無かったことにできない以上この違いは決定的と言っていい。ただ、この考え方では健常者に近づくこと(つまり、障害を克服し、普通に働いて、恋愛や結婚をすること)が幸福に至るための正解になってしまう。まあ、それも一つの生き方ではあるだろうし、否定されるような考え方でもない。でも、それは飽くまで「一つの生き方」に過ぎない。

いまでも障害を負って良かったとは決して言えないけど、自分自身のダメ人間ぶりを実感するにつけ「どう足掻いても結局、健常者のように生きられなかっただろう」とは思う。

どのように生きたとしても落ちこぼれた人間に、後悔する余地はない。それに、(これを書くのは憚れるが)自分はよくやってきたように思う。ヒトより多くバカにされ、蔑まれ、恥をかいてきた。いま現在もそういう時はあるし、今後もあるだろう。他人に迷惑をかけることだってある。そうだとしても、覚悟を持って自分なりに考えて生きていくこと。

バカにされたくない、恥をかきたくない、迷惑をかけたくないとあれこれ心配しても無駄だ。せっかく落ちこぼれたなら、この道でしか見られない風景を見たい。詩や文学や音楽でしか表現できない風景のいくつかがここにはあるような気がするから。ラクでも幸せでもない人生を歩まざるを得なかった人々が描こうとした、そんな風景が。

不快感に圧倒されないために

原宿で建物の外に女性5人を吊るす野外緊縛アートが公開される「現場猫真っ青案件」「凄く綺麗で素晴らしい」 https://togetter.com/li/1883657

率直な気持ちとして、不快感を抱くのは当然だし非難する気持ちもとてもよくわかる。しかし、現代アートが「綺麗なもの」や「心地よいもの」を表現しているなんて絶対にあり得ない。

そこで考えてみる。まず、この女性たちはなぜ吊るされているのだろうか?もし強制されているのだとしたら間違いなく法に触れるだろう。そうではなく、同意の上だとしても何らかの法に触れている可能性はある。しかし、おそらくは周到に用意されたであろうパフォーマンスがその観点に配慮していないとは考えづらい。

ある意味で大問題なのは、全く法に触れていない場合だ。なぜなら、「女性たちの命を蔑ろにしている」と非難されるのは当初から織り込み済みで、それが”個人的な”お気持ちの表明でしかないのだということになってしまうから。しかも、そのお気持ち表明を正当化する人ばかりだというなかなか滑稽な事態になる。

別の想定をしよう。このパフォーマンスが本当に女性たちを危険に晒しただけの低俗な思いつきでしかないと仮定する。であれば、もちろん法の裁きを受けて然るべきだ。それはそれとして、結果的に無事だったとしても誰かを危険に晒しただけで非難されるとしたら、私たちが非難するべき対象は限りなく膨大になってしまう。例えば、普通自動車免許の所持者もこのパフォーマンスと同様に非難されるべきではないのか?

まあ、繰り返しになるけどこれを不快に感じるのは自然なことだと思う。でも、その不快感をどう処理するかという点で単純な非難で済ませる人が多いな、と改めて感じた次第。

私はもう一人ぼっちがいい

このゴールデンウィークに素敵な女性とデートする。まだお互いのことを深くは知らないから、何を話そうとかどんな格好をしていこうとか考えてしまって、不安と期待が入り混じった気持ちだ。

あちらから「お近づきになりたい」と言ってくれて、とても嬉しかった。実を言うと俺も前から気になってて、話した内容を帰宅後にメモしてたくらい。我ながらキモいな。

で、まあ上手くいくといいなとは思ってるんだけど、あちらはまだお若い(少なくとも10歳は年下)ので恋愛に対して幻想というか過度な期待を抱いてるかもしれないなと。俺は決して恋愛経験豊富というわけではない。それでも、幸せがずっと続いていくなんてあり得ないことくらいはわかる。そこら辺が心配なんだよなー

たとえ愛する人と一緒にいても俺は孤独だと感じるだろう。その予想が間違いであってほしいが、果たして。

そういえば、たまたまスマホの音楽を全シャッフルして聴いてたら野狐禅の「さよならの唄」が流れてきた。

“私はもう出会いたくない 私はもう一人ぼっちがいい そんな本音さえも打ち明けられる そんなあなたに出会えたらな”