I is for Insane

統合失調症患者が綴る雑記

不快感に圧倒されないために

原宿で建物の外に女性5人を吊るす野外緊縛アートが公開される「現場猫真っ青案件」「凄く綺麗で素晴らしい」 https://togetter.com/li/1883657

率直な気持ちとして、不快感を抱くのは当然だし非難する気持ちもとてもよくわかる。しかし、現代アートが「綺麗なもの」や「心地よいもの」を表現しているなんて絶対にあり得ない。

そこで考えてみる。まず、この女性たちはなぜ吊るされているのだろうか?もし強制されているのだとしたら間違いなく法に触れるだろう。そうではなく、同意の上だとしても何らかの法に触れている可能性はある。しかし、おそらくは周到に用意されたであろうパフォーマンスがその観点に配慮していないとは考えづらい。

ある意味で大問題なのは、全く法に触れていない場合だ。なぜなら、「女性たちの命を蔑ろにしている」と非難されるのは当初から織り込み済みで、それが”個人的な”お気持ちの表明でしかないのだということになってしまうから。しかも、そのお気持ち表明を正当化する人ばかりだというなかなか滑稽な事態になる。

別の想定をしよう。このパフォーマンスが本当に女性たちを危険に晒しただけの低俗な思いつきでしかないと仮定する。であれば、もちろん法の裁きを受けて然るべきだ。それはそれとして、結果的に無事だったとしても誰かを危険に晒しただけで非難されるとしたら、私たちが非難するべき対象は限りなく膨大になってしまう。例えば、普通自動車免許の所持者もこのパフォーマンスと同様に非難されるべきではないのか?

まあ、繰り返しになるけどこれを不快に感じるのは自然なことだと思う。でも、その不快感をどう処理するかという点で単純な非難で済ませる人が多いな、と改めて感じた次第。