I is for Insane

統合失調症患者が綴る雑記

生きる上での喜びが無い

 

どれだけ遊んでも楽しくない。リア充の猿真似をしてるだけ。他人が正気を保って生きていられる(少なくともそう見える)のは何故なんだろう。


「楽しさ」や「喜び」のために生きる、という姿勢がそもそも間違っているのだろうか。もしかしたら「人生はもっと素晴らしいもののはずだ」と期待し過ぎているのかもしれない。


結局のところ、死ぬしかないんだ。修復不可能なガラクタは捨てるしかない。そんなことずっと前からわかってるのに。自殺できないから仕方なく生きてるだけ。

 

“僕は、僕という草は、この世の空気と日の中に、生きにくいんです。足りないんです。いままで、生きて来れたのも、これでも、精いっぱいだったのです。”


“死ぬ気で飲んでいるんだ。生きているのが、悲しくて仕様がないんだよ。わびしさだの、淋しさだの、そんなゆとりのあるものではなくて、悲しいんだ。陰気くさい、嘆きの溜息が四方の壁から聞えている時、自分たちだけの幸福なんてある筈は無いじゃないか。自分の幸福も光栄も、生きているうちには決して無いとわかった時、ひとはどんな気持になるものかね。努力。そんなものは、ただ、飢餓の野獣の餌食になるだけだ。みじめな人が多すぎるよ。キザかね。”


“生きるという事、生き残るという事。それは、たいへん醜くて、血の匂いのする、きたならしいことのような気もする。”


“姉さん。僕には、希望の地盤が無いんです。さようなら。結局、僕の死は、自然死です。人は、思想だけでは、死ねるものではないんですから。”