I is for Insane

統合失調症患者が綴る雑記

カント「純粋理性批判」 第1回 近代哲学の二大難問

近代哲学の二大難問その1

「すべての物体が因果法則で決定されているならば人間もこの法則に縛られ自由がないのではないか?」(物心問題)


近代哲学の二大難問その2

「私が認識したことは本当に客観的な世界と一致しているのか?」(主観客観一致の問題)


※中世ヨーロッパはキリスト教中心の世界だったが、自然科学の発達によって世界に対する人々の認識が変化してきた。そこでこうした問題が生まれ、これらに対しての考え方として生まれたのが「イギリス経験論」と「大陸合理論」。


イギリス経験論

「人間は主観的に経験したものをゼロから積み上げなければ認識を作れない」

※この立場では人間は主観の外には出られないため、自然科学の客観性をも疑わなければならなくなる。


大陸合理論

「人間には合理的に物事の真理を捉える知的能力が先天的に備わっており、それによって認識が作られる」

※この立場では批判に対して反論する余地がない。

 

 

 

純粋理性批判の内容


・あらゆる客観的な事物は「物自体」である。「物自体」の正確な姿は何者も知り得ない。


・「現象」とは、「物自体」が人間の感覚器官を刺激して現れたもの。人間が「物自体」を解釈した結果。


・「客観性」とは、他人と共有できる認識という意味。


・「物自体」をどうにかして知るという方向性は捨て、「現象」という枠組みの中で他人と共有できる「客観性(他人と共有できる認識)」が作れないか?とカントは考えた。


・「どんな人間も同じ共通規格を持っている」と仮定すれば、「客観性」は存在することになる。その共通規格にあたるのが、「認識能力」。「認識能力」は五感の感覚を受け取る第一層「感性」と第二層「悟性」から成る。


・「物自体」が感覚器官を刺激すると、感性はそれを受容し、ある像を形成する。これが「直観」。人間が「物自体」を解釈する能力のこと。直観は感覚的である。


・みずから観念や判断を作り出す能力、認識の自発性が「悟性」。例えば、「AはBである」というような認識。悟性は、直観が捉えた像を思考する能力。


・感性と悟性は相互補完的に作用し、ある認識が生まれる。


・「他人と共有できる認識(客観性)は何か」とそれぞれの心の中に探っていく。「絶対の正義」は無い、とカントは考える(はず)。

 

 


☆簡単なまとめ


まず「物自体」が存在する。
その「物自体」が人間の感覚器官を刺激することで「感性」と「悟性」がそれを受容し、ある像を形成する。
その結果として現れるのが「現象」。この「現象」は「物自体」と同定できない。
しかし、この「現象」という枠組みの中で他人と共有できる認識が作れるのではないかとカントは考えた。